2017/04/02

愛と知性について(宇宙的観点も添えて)

愛と知性はともに、宇宙(・存在・世界)の原理・始源であると理解している。つまり、愛と知性は二物でありながらもともに古代ギリシア哲学でいうアルケーなのである。無論これは主観であり、従来アルケーは水であったり、火であったり、原子であったりとソフィスト(=ソクラテス以前の古代ギリシア哲学者)によって捉え方が異なるものの何か『物質』を指していた。可視のもの、身近なものからアルケーを見出していたように思われる。愛と知性は無論、目に見えない不可視なるものである。その顕れ/現れを目にすることはできるのであるが。つまり、例を挙げれば、愛の現れは人の優しさや思いやりに感じ取ることができるし、知性の現れは生活を満たしている人知がたどり着いたテクノロジーに見て取れる。愛と知性は、それ自体を性質としてもつ「粒子」はないが(あるいは仮にあるとしてもまだ公式に発見されていないが)、働き・作用子として確認することができる。光子のようなものである。ニューエージ思想において、よく「愛と光」という表現を目にする。私は、象徴としての意味合いでは光を知性として捉えている。光は知性である、と。光=知性。これによって「愛と知性」という定立を得る。「愛と光」という定立は宇宙存在によって、またニューエージ思想において再三にわたり主張される。「一なる者の法則(orラー文書)」に出てくる金星の意識体ラー(Ra)や、アシュター・コマンドのアシュター、バーバラ・マーシニアックという触媒(チャネラー・チャネル)を通じて人類にメッセージを残したプレアデス・プラス(→プレアデス星団の意識体と他の存在たち)を始め、愛と光を説く宇宙存在=ETは一定数存在している。愛と光、愛と知性は何か宇宙的な真理を現わしているのではないか、と今では思う。

愛という性質と知性としての光の性質。上に言及したバーバラさん経由のプレアデス[星団]の意識体によれば、「愛は創造します」とのことである。そして「光は情報です」とのことである。ウ(有)とム(無)の二分法でいえば、愛はムであり、光・知性はウであろう。ム、すなわちゼロであるが、ゼロはすべてを内包する、すべてを可能態としてもつモナド的な存在である。すべてを生み出せるチカラがある。そしてウとは、成ること、あるいは成ったものである。働きとして成ること(en:becoming; de:werden)がある。光は作用子としての「働き」があるので、成ること(「成」)として捉えることもできる。だが、基本的には光はウであろう。キリスト教の神話(ミトス;en;Mythos)によれば、神ははじめに「光あれ!」として光を造り出したとされる。真っ白なキャンバスをまず光子で溢れさせたのだろう。キリスト教によれば、始源において、まず第一に生成された物質が光なのだ。ウの代表としての光。そしてその元となったキがきっとゼロ(=ム)としての愛なのだろう。そのように思う。キにも物質性・粒子性があるかもしれない。同じことが霊(レイ=数霊49)にも言えるが。だがここではテーマを脱線しないことにする。

愛と光と。あるいは、愛と知性と。惑星地球の解放について少し、宇宙という観点も添えて述べよう。「光の勢力」というのが有る。これは高次元領域(=シンプルに「上」)に存在していて地球を解放しようとしている。例えるならば光を上からこの3D地球に降ろそうとしている。降りてくる光。そして、地上からは上に登る「愛の勢力」があってしかるべきだろう。登って行く愛。愛と光が交わるところ、それはなんだろうか?

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