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2017/01/27

日月神示からのメッセージ 6

ブログ主より解説:
以下に紹介(引用)する日月神示の文章は、私のノートから引用したものです。段落(改行)ごとにそれぞれ巻が違います。どの巻のどの帖から引用しているのかまではご紹介していません。

*****以下引用*****


神のお役は孤独ぞよ。不安といつも共にある。


そなたは先ばかり見てゐるぞ。足で歩くのぢゃ。足もとに気つけねばならんぞよ。そなたは自分ひとりで勝手に苦しんで御座るなれど、みなが仲よう相談なされよ。相談結構ぢゃなあ。相談して、悪いことは気つけ合って進んで下されよ。


自分を大切にせずして、他人を大切にはできぬぞ。


「今」に一生懸命になりて下されよ。


おそれてはならん。おそれ生むからぞ。


厄も祓はねばならんが、福も祓はねばならん。福はらひせよと申してあらうが。厄のみでは祓ひにならん。福のみでも祓ひにならんぞ。厄ばらひのみしたから今日の乱れた世相となったのぢゃ。この判り切った道理が何故に判らんのか。悪を抱き参らせよ。善も抱き参らせよ。抱くには○にならねばならんぞ。


自分なくするのではなく高く深くするのであるぞ。無我でないぞ。判りたか。海の底にはキンはいくらでもあるぞ。


神様でも大神様は判らんのであるぞ。只、よろこびに向ってひたすらに進んで行けばよいのであるぞ。正しき喜びを先づ見極めよ。見きわめてひたすらに進めばよいのぢゃ。


貰うた神徳に光出す人民でないと、神徳をわれよしにする人民にはおかげやらん。自分が自分で思ふやうになるまいがな。自分が自分のものでないからぞ。自分のものなら自由になると申してあらうが。道を進めば楽に行ける。道行かんで山や畠や沼に入るから苦しむのぞ。


神は人となりたいのぢゃ。人は神となりたいのぢゃ。霊は形を形は霊を求めて御座るのぢゃ。人は神のいれもの、神は人のいのち。


守護神と申すのは心のそなた達のことであるが、段々変るのであるぞ。自分と自分と和合せよと申すのは、八人十人のそなた達が和合することぞ。それを改心と申すのざぞ。和合した姿を善と申すのぢゃ。


愛の人間は深く、智の人間は広く進むぞ。経(タテ)と緯(ヨコ)であるぞ。二つが織りなされて、結んで弥栄える仕組。


そなたはこの神ときわめて深い縁があるのぢゃ。縁あればこそ引きよせて苦労さしてゐるのぢゃ。今度の御用は苦の花咲かすことぢゃ。真理に苦の花さくのであるぞ。


病、ひらくことも、運、ひらくことも、皆 己からぢゃと申してあろう。誰でも、何でもよくなるのが神の道、神の御心ぢゃ。親心ぢゃ。悪くなると云ふことないのぢゃ。迷ひが迷ひ生むぞ。もともと病も不運もない弥栄のみ、喜びのみぢゃ。神がよろこびぢゃから、その生んだもの皆よろこびであるぞ。


全体の為 奉仕するはよいが、自分すてて全体なく、自分ないぞ。全体を生かし、全体と共に部分の自分が弥栄えるのであるぞ。


因縁のそなたぢゃ、一聞いたなら十がわかるのぢゃ。云われんさきに判ってもらわねばならんぞ。知らしてからでは味ないぞ。十人並ぞ。今度の御用は千人力、十人並では間に合わんぞ。


よい求めにはよい感応、よい感応によい働き、よい理解となり、よい生活 生れる。間違った求めには間違った神、間違った生活 生れるぞ。道理ぢゃナア。


コト=言(光透)と、時と、その順序さへ心得て御座れば、何をしても、何を話しても、何を考へてもよいのぢゃ。


今まいた種、今日や明日には実らんのざ。早く花が見たく、実がほしいからあせるのぢゃ、人間の近慾と申すもの。神の大道に生きて実りの秋まてよ。まいた種ぢゃ。必ず実る。誰も横取りはせんぞ。万倍になってそなたにかへると申してあらう。未来にもえつつ現在にもえよ。神相手に悠々と天地に歩め。


うれしうれしと人々が涙を流して喜んで、生きる楽しさ歌にして、すべての命を尊びて、愛に包まれ、輝きを宇宙の果ての隅々に届かす愛の星となれ。


肉体の苦労も霊の苦労も、どちらの苦労にも、まけん人民臣民でないと、眼先のことで、グレングレンと引繰りかへりて、あわてふためく様なことでは、どんな事あっても、びくともせん、ミタマでないと、御用六ヶ敷いぞ。


生れてすぐ歩けるものでないぞ。始めから何も彼も出来るものでない。気長に進んで行けよ。


考えてゐては何も成就せんぞ。神界と交流し、神界に生き、神界と共に弥栄すればよいのぢゃ。人間だけの現実界だけで処理しようとするのが今迄の考えぢゃ。今迄の考えでは人間の迷ひぞと申してあろうがな。迷ひを払って真実に生きよ。みたましづめぢゃ。加実しづめぢゃ。


同じ愛、同じ想念のものは自ら集まって結ばれる。


そなたはこの神ときわめて深い縁があるのぢゃ。縁あればこそ引きよせて苦労さしてゐるのぢゃ。今度の御用は苦の花咲かすことぢゃ。真理に苦の花さくのであるぞ。


信じ合うものあれば、病気も又たのしく、貧苦も亦たのしいのであるぞ。
この方の許へ来て悪くなったと云ふ人民 遠慮いらん、帰りて呉れよ。そんな軽い信心は信心ではないぞ。結構な苦しみがわからん臣民一人も要らんのぞ。しかと褌締めてついて御座れよ。


これでよいのか、これでよいのかと、思うて生きるも生き方ぞ。なれど迷いは要らぬのぞ。迷うと探るは違うのぞ。己の生き方探り続けてくだされよ。神を向き、探り続けてくだされよ。


そなたが歩むのぢゃ。道は自分で歩まねばならんぞ。他人におんぶしたり、他人が歩かしてくれるのではないぞ。そなたの力で、そなた自身の苦労で人を助けねばならんぞ。人を助ければその人は神が助けるのであるぞ。


高い心境に入ったら、神を拝む形式はなくともよいぞ。為すこと、心に浮ぶこと、それ自体が礼拝となるからぞ。


時来たら説き出すものぢゃ、親の心察して子から進んでするものぢゃ、その心よきに幸(さき)はふぞ、もの聞くもよいが、聞かんでは、判らん様では幽国(がいこく)身魂ぞ、神の臣民 親の心うつして云はれん先にするものぢゃぞ。

道は神にも曲げられん、竜神は悪神ぢゃと云ふ時来るぞ、心せよ。誠ない者 今に此の方拝む事出来んことになるぞ、此の方に近よれんのは悪の守護神殿。愈々天の御先祖様と地の御先祖様と御一体に成りなされ


悪的感覚と悪的実態は自ら別であるが、この実状を感覚し分け得た上、体得する霊人は極めて少ない如く、地上人に到りては極めて稀であることを知らなくてはならない。


そなただけが、悲しいのでないぞ。人は皆悲しいのぞ。そして、神も悲しいのぞ。変えたいとは、思わぬか。変えるために働いてくれよ。人のために働いてくれよ。神のために働いてくれよ。そなたがおらねば、ならぬことあるぞ。


一切が自分であるためぞ。常に一切を浄化せなならんぞ。霊は常に体を求め、体は霊を求めて御座るからぞ。霊体一致が喜びの根本であるぞ。一つの肉体に無数の霊が感応し得るのざ。それは霊なるが故にであるぞ。霊には霊の霊が感応する。又 高度の霊は無限に分霊するのであるぞ。


何処で何してゐても道さへふんで居れば弥栄えるぞ。行き詰ったら省みよ。己の心の狂ひ、判って来るぞ。神から伸びた智と愛でないと、人民の智や学や愛はすぐペシャンコ。やりてみよれ。根なし草には実は結ばんぞ。お尻出したら お尻綺麗にふいてやれよ。怒ってはならん。


 金(きん)では治まらん、悪神の悪では治まらん、ここまで申してもまだ判らんか、金では治まらん、悪の総大将も其の事知って居て、金で、きんで世をつぶす計画ざぞ、判ってゐる守護神殿 早う改心結構ぞ、元の大神様に御無礼してゐるから病神に魅入られてゐるのぢゃぞ、洗濯すれば治るぞ


因縁のあるみたまが集まって来て人のようせん辛抱して、世界の立替立直しの御用致すのであるから、浮いた心で参りて来ても御役に立たん。邪魔ばかりぢゃ。因縁のみたまは何んなに苦しくても心は春ぢゃ。心勇まんものは、神示よんで馬鹿らしいと思ふものは、遠慮いらんから、さっさと帰りて下されよ。

*****以上引用迄*****

豆情報:
Twitterで日月神示のbotアカウントが複数有ります。幾つか紹介します(↓)

@hifumi_bot
@tenmeiokamoto
@0123aouei

豆情報 2:
日月神示は全文をネット上で閲覧できます。探してみてください。ちなみに私はヒカルランド社刊の2012年12月第10刷版を持っています。

2017/01/26

関ヒロノ - 啓蒙主義は党派イデオロギー

出典:関ヒロ野著「なぜヨーロッパで資本主義が生まれたか」(NTT出版、2016年)

*****以下引用*****
 
 そして一連のスキャンダルはアメリカの略奪で終わったのではない。私のみるところでは、十八世紀ヨーロッパの啓蒙主義もスキャンダルです。お話ししたように、宗教戦争がもたらした不安が、アメリカの略奪と征服によるヨーロッパ経済の繁栄によって自己満足に変わっていった。この自己満足を代表しているのが啓蒙思想なのです。啓蒙主義の起源は十七世紀にありますが、十八世紀がその頂点でした。ただ、指摘しておきますが、啓蒙主義は、当時のヨーロッパの知識人とエリートの思想であり、教養人ぶりたい王侯貴族や上流社会のサロンでもてはやされたものです。民衆は無縁でした。また統一された教義や経典があったわけでもありません。啓蒙主義者にもっとも影響を及ぼしたのは英国のジョン・ロックでした。フランスのいわゆるフィロゾフといわれた啓蒙主義者は、みなロックのブルジョア哲学の祖述者だったといっていい。『哲学書簡』でイギリスを礼賛したヴォルテールなどその典型です。

 そして啓蒙主義はキリスト教の教会と聖職者を目の敵にする一種の党派的イデオロギーでした。だから啓蒙主義を十八世紀における科学の発展とごっちゃにしてはならない。十八世紀には、いい意味での知の拡大があって、大航海時代以来さまざまな異質な社会に接したことによる人類学的な思想の発展とか、リンネの植物学とか、ビュフォンの博物学とかも生まれた。これらの科学の成果は啓蒙主義の産物ではありません。

 啓蒙主義は政治的イデオロギー、キリスト教を迷信とし敵視した破壊的性格を持つイデオロギーなのです。キリスト教を知のレベルで迷信として攻撃し、キリスト教の原罪の教義に対立して、人間は基本的に善良で理性的な存在として完成していると論じる。この世に善良でも理性的でもない人間がいるとすれば、それは教育が足りないからだ。教会の迷信や権威が人間を抑圧して偏見にとらわれた邪悪で愚かな存在にしている。だから教会と聖職者の影響力を一掃すれば、人間の善良で理性的な本質が自ずと開花することになる。これはキリスト教の原罪の教義をそのまま百八十度ひっくり返したような議論です。

ルソーの啓蒙主義批判

 今述べたあたりが、ルソーは啓蒙主義者ではない所以なのです。ルソーとヴォルテールは十八世紀フランスの文人としてよく一緒にされますが、ルソーは啓蒙主義者ではありません。ルソーはパリの党派的な啓蒙主義者たちと対立し、それで迫害されました。ルソーの視点では、人間は初めから完成された存在ではない。人間は善良で理性的な存在でありうるけれども、そうであるための条件とは簡単なものではない。生物学的な種としての人間にはさまざまな欠陥がある。原罪は教会の虚構だとしても、容易に人間を賛美してはいけない。動物には集団形成の本能がある。ところが人間は社会分業のために密接な協力が必要なのに、集団形成の本能を持っていない。だから人間は本能ではなく文化と政治によって社会を形成しなければならない。しかも人類の文明はこの種としての欠陥を是正するどころか欠陥を拡大するかたちで発展してきた。だから文明化を手放しで賛美するのは危険なことである。ルソーにすれば、善良で理性的な人間が相互に利益を確認し合えば完全な社会ができるなどというのは欺瞞か錯覚なのです。

 ルソーから見ると啓蒙主義者はキリスト教を迷信として批判しながら、その神学的議論、原罪の神学を理性の神学にひっくり返しているだけなのです。啓蒙主義者のいう理性とは、キリスト教神学では「ルーメン・ナチュラーレ(自然の光)」と呼ばれたものです。啓蒙はフランス語では"lumiéres"、英語では"enlightenment"です。どちらも光という言葉が入っています。理性の光明さえあれば世界と人間は完全なものになるというのは、結局、神学的な議論なのです。啓蒙主義者がキリスト教を迷信として攻撃したことは、初期中世にカトッリク教会が西欧各地に民俗として根付いていた土着の信仰や風習を迷信として撲滅しようとしたことにそっくりです。どちらも「正しい思考様式(ORTHO-DOXY)」を定め、それから外れる思想を異端や迷信として排除し禁圧しようとします。これは身体や財産ではなく思想を冷酷に改変し支配する権力、ジョージ・オーウェルが小説『一九八四年』で描いた、思想犯罪を取り締まる思想警察です。ルソーは、その後半生で、パリの啓蒙主義者たちという思想警察によって監視され迫害されたといえるでしょう。その点で啓蒙主義者は、宗教戦争がもたらしたアングスト、不安が文明の物質的な改善で幸福感、自己満足感に変わっていった過程を代表しているのです。啓蒙主義者のこうした、人間は理性的存在として完成されうるという議論からは、人間は教育によっていくらでも改造できるという『人間機械論』のラ・メトリーのような思想が生まれてきました。これが啓蒙主義の中のもっともスキャンダラスな要素でしょう。

******以上引用迄*****



2017/01/14

Adam Weishaupt - 神秘主義に傾倒するすべての成員に告ぐ

出典:Adam Weishaupt著「Das Verbesserte System Der Illuminaten」

世界の起源は何か

人類の幸福を希求する者、すなわちその喜びと平和を増大し、不満を減じようとする者は、人類の喜びと平和、人類の幸福をさまたげるすべての元凶を探求し、それを打破しなければならない。打破すべき対象には以下の体系がすべて含まれる。世界と人間本性の改善改良を非難する体系、必要もないのに悪を広める体系、あるいは悪を実際以上にいかがわしいものと喧伝する体系、人間の価値と尊厳を貶める体系、人間が本来有する力への信頼を減少させる体系、そして、まさにそれによって人間を臆病で打ちひしがれ地べたを這いつくばる迷信深い存在となす体系、人間理性を罵る狂言へと道を開き、続いて欺瞞が大手を振ってご入場とあいなる体系。これらの体系をすべて打破しなければならない。

神智学(Theosophy)的すなわち神秘主義的体系、あるいは多かれ少なかれこれに類するもの、神智学に由来するあらゆる原理原則、この由来は往々にして隠蔽されているままだが、結局これらを余すところなく考察するのがこのクラスの課題である。
この種の体系のなんと多いことか。そして今日それらがなんと広く蔓延っていることか。なんと多くの人がこれに感染しているのだろう?人々は修道士の亡霊を放逐しようと努力したが無駄だった。それは他の様々な形姿の下からふたたび立ち上がり、その活動が隠密であればあるほど影響は速やかなのである。人間はすべて全時代を通して次の点で一致する。すなわち人間以外にもおびただしい数の実体が存在し、その総体を人間は世界という枠組みのもとに表現している、のだと。しかし別の考察、さらに自然な、「この世界の起源は何か」という問いにおいては人々の見解は分かれるのである。
ただ二つの解答が是認されうるだろう。すなわち、この世界はそれ自体の現実性を自ら与えるか、あるいはこの世界以外の一つの存在がその世界の創始者であるか、いずれかである。はかない時間の相で、あるいは永遠の相においてながめるのかという点は、この考察にとって同じく重要である。前者は無神論の体系であり、世界の秩序、連関、ハーモニー、すべての存在の目的そして最高のもっとも普遍的な共同体の目的すなわち全存在、とりわけ思考する存在の最終規定、という無神論諸体系であり、この教説にたいていの人々が嫌悪を感じているのは否めない。つまりいつでも無神論とは正反対の、救済を約束し精神に重きを置く理神論少なからぬ残滓が付きまとっていたのだ。

無から有は生じない

しかし、この理神論自体が、まじめに考え神様に満足しない思想家にとっては新たな難題となった。この世界の外側にいる世界の創始者という存在は、そもそもその世界の材料をどこから持ってきたのか?アポリア(解決不能な問題)の迂回路は二つしかない。無から創造したのか、何かあるものからか、いずれかしかない。我々はこのいずれか一方を選ばねばならない。古来すべての文明は、例外なく「無からの創造」を認めていない。古代世界に支配的な教説に従えば、「世界は何かあるものから生成した」のであり、ユダヤの、すなわちモーセの世界創造物語でさえそうである。「無からの創造」の消息が初めてはっきり見て取れるのは『旧約聖書』の「マカバイ記2」(7-28)である(「子よ、天と地に目を向け、そこにある万物を見て、神がこれらのものを既に在ったものから造られたのではないこと、そして人間も例外ではないということを知っておくれ。」)。「無から無が生成する」という命題は、古典古代すべての体系で排除された帰結から導かれた原則なのである。全古代体系に従えば「世界は(無からではなく)何かあるものから生成した」のである。だとすれば一つの世界ができる前にそもそも何が存在しうる、というのだろう?それでもって世界が生産されるというならば?

さてこの前提に従えば、次の二点しか考えられない。すなわち世界は神から流れ出た、これは後述するいわゆる「流出説」であるが、もうひとつは、神に次いで何らかの物質、素材が存在していなければならず、これを神(性)が加工し秩序を与える、というものだ。この素材はそれぞれの教説ごとに様々で、「力」、「オルペウスの卵」、「カオス」といった姿形のない物質とされていた。この二つの説が他のすべてと共通の根本体系なのだ。すべての体系は、無神論体系を除けば、結局この2点に帰着する。この一方もしくは他方から様々な変形が生じた。最初のものからは、ゾロアスター教の哲学、オリエントの哲学、ユダヤのカバラそしてグノーシス的錯誤とともにピタゴラスープラトン体系の一部分が生じた。この体系の他の部分から生じたものとして、ピタゴラスープラトン学派とその後代の派生態であるアレクサンドリア学派、その他様々な亜流が目を引く。それから現代の神智学や神秘主義者どもも付け加えておく。
ここでこの両体系を吟味しておこう、我々は「古代の賢人たちが、以下の二つの前提から何を論理的帰結として導いたのか」を理解しよう。
前提1 世界は神からの流出物である
前提2 定型のない物質(素材)が永遠の相のもと神と共存している

前提1 流出説

流出説とは何か

もし無から何も生成し得ないならば、必然的に世界は神(性)の流出物である。
⑴ある種構成的存在である神は、その神性の構成物である限りにおいて、身体を持たず、ラフな物質とは区別される。従って古代人のイメージとして神性は、純粋な光の海つまりエーテルであり、そのシンボルは太陽と火である。
⑵この太陽から、また火から、そして光の海から、不断に光が注ぐように、まさに神性からあらゆる力、事物の存在者が生じる。
⑶世界のすべての部分は、それ故、根底的に神の諸部分なのである。
⑷従ってすべての魂、我々の精霊は神から由来し不死である。
① ここから見て取れることは、精霊の不滅説は古くからある教説ではあるが、ここに示されているのはまったくの別物であり、古くからの不滅説は誤った根拠に基づき主張されたものである。
② また、精霊の前世での存在という教説の起源も以下に示すように、精霊のさまざまな身体への転生や親の霊が引き継がれる、精霊の繁殖説から生じたものなのだ。
③ これらの流出がいわゆる輪廻というものなのである。
⑸この「流出」概念には、何がしか不変でない神の部分が含まれる。これは隠蔽されているが到底受け入れることはできない。
⑹あるいは次のように説明されるかもしれない。すなわち、最初の直接流出が本来の神の流出であり、他の諸々の流出はこの第一の流出に続いてさまざまな条件下で流れ出たものである。
 ①それ故、少なからぬ流出説体系、最高神を頂く流出論体系では、世界はこの直接の世界創始者ではなくデミウルゴス等、仲介者によって創造されたとしている。
 ②下位に置かれた流出は従って、神を災厄の根源と見なさぬよう案出されたのである。この世界は災厄に満ちているとしか思えないので。
⑺流出で生じた存在はその根源である最高神から近ければそれだけ完全であり、離れれば離れるほど不完全である。
 ①この命題は全流出説体系、すなわちさまざまな古代の神統記を理解する鍵である。ここからそこにある神々の誕生が理解され、一致する意義を得ることができる。
 ②したがって、この教義からしてある部分、流出物は男性であり、この場合、流出作用を自ら産み出し続け、また流出を受け入れるばかりの場合、それが女性のこともある。
 ③というわけで西欧においてこの体系は大概「天使の交合」という教義になる。
⑻それ故、序列上下位の良い、または邪悪な一連の霊魂が存在し、それらには、種々様々な流出説体系の中でそれぞれ階層や名称が与えられている。
 ①このことは、ゾロアスター教のアムシャ・スプンタ〔アフラ・マズダーに従う7人の善神〕とその下の善神ヤザダ(ヤズド)やパルーシー教〔インドのゾロアスター教〕の悪神ダエーワや下級神フラワシ〔人間を守護する精霊〕の起源であり、プラトンの世界精神(Weltseele)、すなわちデミウルゴスの起源であり、ユダヤ・カバラ神秘主義における最初の人間アダム・カドモンやセフィロト〔カバラの生命の樹を構成する10の流出物〕の、そして天使と悪魔の全階級区分の秩序の起源なのである。
 ②それ故、グノーシス派の神から流出する霊体という夢想とキリスト教との混同が生じた。キリスト教では、その霊体とはキリストであり、魔術師聖シモンが言うところでは、キリスト自身が最高神の直接の流出すなわち第一の流出霊体であると見なされた。福音史家は一致してキリストの神性をこの方向で解釈しており、この見解は上述の起源から導かれたものだ。そして流出霊体の男性的あるいは女性的性質は、その生殖と繁殖とに結びつく。
 ③そしてお互いから生じたカバラの4つの世界が記述される。それは、アツィルト(理念界)、ブリアー(創造界)、イェツィラー(形成界)、アッシャー(物質界)の4つである。
 ④到達困難な隠蔽された最高神に到るには、これら媒介者の性質を持った下位の神々という代願者を介す他ない。
 ⑤これら下位の神々への崇拝はあらゆる呪術の起源なのであり、それは、姿なき者への信仰、この者たちとの親密な交わり、結びつきを希求するものなのだ。
 ⑥さらにカルデア〔新バビロニア〕の信仰では、これは悪霊の力と影響力を説く教説の起源なのだが、これら邪悪な力を静め、自分たちの思うまま操る様々な呪文がある。
⑼物質こそこの神の流出の最下位にあるもので、それ故もっとも不完全で諸悪の根源となるものである。
 ①よって元来、昔の賢者たちに忌み嫌われ、後代のその弟子たちは物質、身体、肉として排した。敬虔な者は身体から解放されようと、つまりこれに拘らぬよう努めた。それは再び神と合一しようという努力、精霊の故郷へ帰還せんとする憧憬である。ここに神秘主義の最初の萌芽がみられる。
 ②同じく以下の教義も同一の起源を持つ。すなわち、身体は精神の牢獄であり、身体ゆえに地上に留め置かれ、神を直覚しこれと合一する、持てる諸力の発達が妨げられているのだ、という教説。
 ③ここに依拠するというのが原初というか古代の節制、禁欲そしてありとあらゆる斎戒、贖罪のたぐい、また瞑想的人生や孤独を求める傾向、すなわち君主主義の遥かな起源、同時にあらゆる言い回しを含めてキリスト教神学的禁欲なのである。結婚すなわち子供をつくることの否定、腸管性交の傾向等。さらに世俗を無視あるいは軽蔑すること、こういった事どもはすべて後に新旧プラトン主義によって強化されていった。

流出説への疑問

流出論体系の帰結は、ここで説明したように当初ただちに出来したのではないが、おおむね論理的に妥当な帰結である。流出説は初期だろうと後期だろうといつでもこの帰結に至るのは必然だからである。これらの帰結の中に若干、誤って導かれたものが含まれる。どういったものかというと、誤ったあるいは恣意的な流出原則を前提とし、そこから導き出された帰結である。それ故、この歴史が示すものは、最高の教義も原初において同一でなく、最高の根拠から必然的に擁護されるものでもない、ということである。だからこの流出概念の無底が明らかになるやそこに依拠していたすべてが崩壊する。よってこういった流出論体系は偽である。

⑴というのも、こういった理論は、恣意的に措定された命題に依拠しているからである。根拠はまったく明らかにされず、疑義は増すばかり。さらにこれらは、だれも解答し得ない問題にイメージが先行し、寓意的に解答を与えているのである。これはヨーロッパの構想力が生み出したむなしい遊戯といえるだろう、世界の始まりという詩、つまり人間の概念や経験を超越したものをまるで説明できないよりはマシと、夢を通して説明しようと努める人間のプライドの表れなのだ。
⑵「一つの単純な事物から何かあるものが流出する」という原理が神に人格を与えるのか、あるいは、神を構成するのか?またこの流出理論はいかにして可能となるのか?しかし神は人格を持ち得ない。そのいくつかの根拠を以下に示すが、その根拠は我々の精神の物質性に対しても援用できるが、若干の変更が加えられている。
 ①すべての部分をあまねく神性が形成しているならば、神はいったいどこに存在するというのか?個々の部分のどこにも存在しないのか?さらに個々の部分は不完全である。なぜなら各々の部分は全体ではないから。全部とはその部分以外の諸部分のことであるが。どんな主体の中に、では共同体としての全体が存在するのか?主体は諸部分の全体にあるのではないのだから。
 ②すべての部分がひとまとめにされて神を形成するのではないとするなら、神の個々の部分が存在することになり、同一物のこの永劫回帰は何のためか?差異性のないところで多様性はどこから得られるのか?個々の諸部分がすでに神という全体の部分だとするなら、少なからぬ部分が存在するのは何故か?個々の部分が存在する能力があるから少なからぬ存在者が当然存在するということになるのだろうか?
 ③この材料である神の極一部分のみが神々だというならば、神々ではない諸部分が神の中にあるのはどういうことか?
⑶自分の流出に先立ち流出している諸部分など、本当に神の部分といえるや否や?神の部分でないならば、神ではない何物がいかにして神の中に存在しうるのか?またこの部分は、真性の神の部分であるというなら、問題はさらに錯綜し、解が与えられるとは到底思えない。そこで新たな問いが立てられる。すなわち、流出が生じた後、この神の一部である諸部分はなお存続するのか、または部分である存在を停止するのか?消失するとしたならば、神の一部分がどうやって、何を言ってるのか理解しがたいのだが、神であることを停止することができるというのか?さらにこの部分が存続するとすれば、この主張は世に知られたスピノザ主義、あるいは汎神論のものである。お互い区別されるが同じジャンルである。
⑷それでもなお流出論体系が存在するべきだとするなら、この種の主張の多くがそうであるように、それは即、還流論体系となる。そこでは、還流の作用によって流出してできた諸部分が、いつかは定かでない時の経過の後、神と再び合一する、とされる。そして本質(神性)の個別性や人格、したがって本来有していた不死性が失われることとなった。
⑸流出説によれば、物質は最悪、不完全だとされ、それ故、神から流れ出て尽きる。とはいえ、物質は最初の神からの流出物でもある。まさにこの物質は、すべてのこうした流出物の最底辺である、という理由から他の物質以外の流出物は、物質があってその後にやっっと生じたのである。こういった流出説の堕落の原因はどこにあるか、それはここまで引用してきた原理以降の懸隔にあるのだ。これら流出論諸説は流出理論の根本原理から遠く隔たったものなのである。
しかし不変性という神の特性を変更させた懸隔とは何だろう?

*****
翻訳:芳賀和敏



2017/01/11

神々と天使についての考察(仮説)

「目覚め3.0」の意識・理解レベルに読者がある事を想定して「神々」と「天使」についての基礎的な情報・見地・仮説を紹介しよう。

前提知識
存在領域(あるいは宇宙)の規定:1~7D(第1密度~第7密度)を一つのオクターブとした存在領域を前提とする。諸説あるマルチバース理論に沿えば、宇宙はいくつもあることになっている。問題は宇宙は唯一無二かそれとも複数あるか、ではなく、諸宇宙を内包するさらに大きな領域を想定し得るということである。つまり、いくつも宇宙があるとしてそれらはいずれも物質的なものであればそれは3D領域の範疇に過ぎないことになる。周波数帯域の違う宇宙が複数あるのであれば、そこで初めて物質領域(3D)より上位の存在領域を演繹し得る。4D以上の領域は漸進的に物質性が放棄されてより霊的な存在領域へと進んで行く。オクターブによる規定に依拠すれば、高位領域を含む全宇宙ないし存在領域の全体は、7Dを外側としてマトリョーシカのように下位の領域が中に中にと含まれている、と仮定する。存在領域においては、無次元領域つまり0次元があり、これが始源的領域と言えるのではないだろうか。0次元すなわちモナドの世界。光(あるいは作用量子のユニットとしての光子)の世界。0次元領域は全てを可能態として有る領域であり、有次元領域は元をたどればこの無次元領域0次元から「流出」したものと考える。存在は0より出でて7Dで完成し、そこで一つの進化サイクルが完成する。

以上を前提知識として話を進めよう。

端的に述べると、天使界は6Dであり神界は7Dである。なお、脱線するが注意すべきは存在領域をオクターブによって規定する他に仏教界、神智学及び派生体系Ascended Masters Teachingsでは7までのオクターブではなくて12次元とか13次元までを想起している。コーザル界、アートマン界、ブラフマン界、アストラル界etc、どこかで目にしたことがあるかもしれない。私としては7Dまでを一つのサイクルとしてさらに12からなるさらに壮大な進化サイクルないし存在領域があるものと仮定しているが、8~12までがどのような領域なのか、情報不足のために想像だにできないでいる。

さて、神々であって神ではない。多神であり、多神の中の一神を理解する必要がある。神々を7Dもしくはそれ以上の(つまり12までのスケールに収まる)存在として規定する。究極的な至高神はただお一人であり「一者」と呼ばれる存在であろう。7Dにおいて神は複数存在する。だから神々である。キリスト教のGODを始め国常立、アブラクサス、ブラフマン、シヴァ、アラー、ラー、などなど神々と呼べる存在に満ちている。神々=ETとして捉える人々もいる。曰く「旧約聖書の神はネフィリムであって原義としては神々であり、マナや様々な災難、難儀は全てETらによる作用である」と。個人的にはユダヤ教の神ヤハウェは悪神であり、かの存在においてのみETである可能性を認めている。さらにキリスト教の神ゴッドは正神の一人であろう、と。神々の世界すなわち神界は7D領域であろうと推測している。神々には生命創造能力あるいは生命を産み出す能力があり、この能力が彼らをして神々たらしめる。5DまでのETらが出来るのは生命創造ではなく既にある生命をDNA操作することぐらいであり、配合して生命を技術的に「造り出す」ことぐらいであって実質的な生命創造はできない。神々は物質性を当然ながら超越している。7Dなのだから。物質性は5Dにおいて超越された霊的存在であり5D存在は永遠の命を得る。サナトクマラはこの5Dの存在であろう。天使達は6D存在であるから神界との強いつながりを持つ。「ラー文書(一なるものの法則)」によれば、ワンダラーの大半は6Dから降誕していると告げる。国常立様も「日月神示」において同じようなことを述べている。つまり、特別の使命をもつ天使は、最下級の霊界まで降って来て、人民に特別な通信をなし、指示することもあるぞ。また天使の霊が母体に宿り、人民として生まれてくることもあるぞ、末世にはこの種の降誕人が沢山あるぞ。」(日月神示:五十黙示録第四巻龍音之巻第三帖)

神々は7D存在であり、彼らもまた進化の途上にある。「絶対神」「完全無二の神」というのは至高神たる「一者」であって、私たちになじみの深いGODや国常立やその他の地球で知られた、名のある神々ではない。「ソース」(根源)という表現がある。例えば宇宙を作った「ソース」が居るのであれば、かの者は「設計者」レベルの存在でありつまり最低でも7D存在である。フリーメーソンはこの宇宙を創造した(とされる)神をこの宇宙の偉大なる設計者(The great architect of the universe)と表現する。思うに、この存在はおそらく確かに「偉大なる設計者」であり数学者である。一者的な存在かもしれない。この設計者との邂逅を果たす、というのが個人的な長期目標となっている。

天使は6Dの存在であるから、アークトゥルスやシリウス、金星の存在らが容易に想起できる。しかし6D領域も尽きないほど広汎であるため、天の川銀河以外の、私たちになじみのない宇宙領域の存在も多数存在しているだろう。6D存在すなわち天使をETとして広義に規定することもできようが、諸宇宙の外側に居る存在であろう。このテーマは尽きない。いくらでも書き綴ることができる。私たちは不断の切磋琢磨によってやがては6Dや7Dにまで進化(あるいは回帰)してゆく存在である。永遠性と普遍性をテーマに、知的・霊的進歩=進化を続けていこう。だが、3D地球を完成させてから、だ。つまりこの3D地球が抱える一連の問題をすべて解決してここを「完全なもの」として完成させて晴れて3D卒業(=アセンション)となり、4Dや5D、さらには6Dへと駒を進めるのである。悠久の時が必要になる。だが5Dで時間は超越され永遠性に達する。つまり不死の永遠のいのちを獲得することになる。いわゆるライトボディは5Dボディのことである。

2017/01/10

地球の進歩・上昇を促すための要素

人々がイデア(理念)でまとまれば目的意識が共有されるので地球の進歩速度は早まるのではないか。目的意識としては①世界平和②次元上昇が例としてある。多様性の中にある普遍性に注目したいところだ。誰しも、不快ではなく快を、悲しみではなく喜びを選ぶはずだ。人間心理のこうした普遍性。多様性→普遍性。かような意識軸のシフト。この世界はまだ若干、悪なるならず者集団こと世界管理チームが牛耳っているため世界から破壊と殺戮が絶えない。オーディエンスである大衆は何をなすべきなのだろうか。チカラは本来私たち民衆にこそ宿っている。物事をわかっている人々が団結しないというのが、世界から悪がなくならない元凶ではないだろうか。私たちは本当に集合体(collective)として何を為すべきなのだろうか。それは、私たちが運動性を帯びること。ではないだろうか。世界を善へと導く最強の原動力は、団結した民衆なのだから。スペイン語でこう言うキャッチコピーがある。

El pueblo unido jamas sera vendido!
(団結した人民は何者にも負けない!)

アメリカに渡った不法メキシコ人移民たちがデモでよくこれをシュプレヒコールする。社会主義系のデモでもよく耳にするキャッチコピーだ。

イデア(理念)、目的意識の共有。大事なこと。私たち民衆の歴史的課題は運動性を帯びること。


転載記事:神ががりと言うてもピンからキリまであるでのう!

転載元:http://d.hatena.ne.jp/rouou567/20110914/1315982421

***以下転載***

皆の衆!
神がかりというても、ピンからキリまであるでのう!

キリの「偽霊能者」「偽教祖」に騙されんようにしなされや!
神かかりの大きく分けた「帰神」 「神懸」 「神憑」の三段階!
そのあたりを聖師の解説で学んでみようかのう!

(以下転載)

霊界に通ずる唯一の方法として、鎮魂帰神なる神術がある。
しかして人間の精霊が直接大元神
すなはち主の神(または大神といふ) に向かって神格の内流を受け、
大神と和合する状態を帰神といふのである。
帰神とは、わが精霊の本源なる大神の御神格に帰一和合するの謂である。
ゆゑに帰神は、大神の直接内流を受くるによって、
予言者として、最も必要なる霊界真相の伝達者である。
次に大神の御神格に照らされ、
知慧証覚を得、霊国に在ってエンゼルの 地位に進んだ天人が、
人間の精霊に降り来たり、 神界の消息を人間界に伝達するのを神懸といふ。
またこれを神格の間接内流ともいふ。
これもまた予言者を求めてその精霊を充たし、
神界の消息を、ある程度まで人間界に 伝達するものである。
次に、外部より人間の肉体に侵入し、 罪悪と虚偽を行ふところの邪霊がある。
これを悪霊または副守護神といふ。
この情態を称して神憑といふ。
すべての偽予言者、贋救世主などは、
この副守の囁きを、人間の精霊みずから深く信じ、
かつ憑霊自身も貴き神と信じ、
その説き教へるところもまた神の言葉と、
自らを信じてゐるものである。
すべてかくのごとき神憑は、 自愛と世間愛より来たる凶霊であって、
世人を迷はし、かつ大神の神格を 毀損すること最もはなはだしきものである。
かくのごとき神憑は、すべて地獄の団体に 籍をおき、
現界の人間をして、その善霊を亡ぼし、 かつ肉体をも亡ぼさむことを謀るものである。
近来天眼通とか千里眼とか、 あるひは交霊術の達人とか称する者は、
いづれもこの地獄界に籍をおける 副守護神の所為である。
以上転載終了

帰神とは神へ向かう「カムナガラの状態」 表面的には、
神かかっていないように見えるのじゃで!
すなわち人間として大変優れた人格を有する。
直接内流につき、見えたり、聴こえたりするわけでなく、
神の意をダウンロードし、理解するのであるぞ!
神懸とは、エンゼル層のメッセージにつき、
善なるものであることは間違いないが、
天使層は未来のことはわからないので、
過去世、現世に関するメッセージが多くなる。
間接内流なので、見えたり、聴こえたりする。
神憑とは、邪霊や邪神がかかっているのだが、
邪霊、邪神自体も自分の本質を理解しておらず、
善なる存在と信じ込んでいる場合が多い。
また闇の大物がかかる際は、 はっきりと憑依を目的としている。
「神々」が直接「陣頭指揮」を取られ始めた現在、
チャネル能力」などは、逆に非常に「 もどかしい原始的な手法」と言えるのじゃで!
いちいち「言葉」で指導しながら人間を動かすより、
神が直接懸かれる清浄な肉体と魂を持つ神人と神人合一を果たし、
例えて言えば「ガンダムスーツ」を 神と人が同じ操縦席に座って動かすほうが、
このあまりにも時間がない非常事態である現在では、
それが最も適切で効果的な唯一の方法なのじゃでな!
神々は、現界にひとつの「うねり」を起こすべく、
「神人合一」を果たせる人間をお探しの真最中じゃで!
その期待にお応えするべく我々も心行一致、
日本晴れの心で「神界のお手伝い」致す時じゃのう!
「IHDの教祖」の罵詈雑言、悪態、攻撃振りを見ると、
神は神でも「邪神」に取り付かれた「神憑」であることは、
一目瞭然じゃのう!
やたらと地獄へ連れて行くと「吼えて」おるのも、
「教祖」にとつては、里帰りというわけじゃな!

***以上転載迄***

本紹介:「宇宙の法〜今明かされる知的宇宙存在が自ら語る宇宙の真理」



以下引用:

宇宙とは実は「バイブレーション」そのものなのです。すべては振動なのです。その振動たる宇宙の、どの周波数の領域を「了解」し得るか、あるいはどれだけの量を情報処理できるかによって、意識の次元、意識のレベルが決まるのです。次元の違いとは、「意識の量と質」の総意であり、情報処理能力の差、もしくは認識能力の差でもあります。つまり、意識という濾過器を通して、バイブレーションが各次元の認識形式に変換され、理解されるのです。そのため、同一の波動であってもそれを情報処理する意識次元が違えば、全く異なったものとして立ち現れることになります。

そしてその結果として、宇宙は多次元的な構造をなして並立することになるのです。

この観点に立てば、すべての存在がバイブレーションとしての意識の展開過程であるが故に、あらゆる物質にも意識が内在していることになります。

このように宇宙には多くの意識のレベル --- 意識の階層あるいはスペクトルといったもの --- が存在しておりますが、各々の領域内には、それぞれのレベルに対応する「住人」が存在しています。そして、各レベルの住人にとっての「実在」とは、各住人が反応し得る周波数の領域に他ならないのです。反応し得ない周波数の領域については、仮に実在したとしても、その存在を感じることができないのであります。意識は、反応し得るものの存在のみを認識し得るからです。

そしてそのレベルの領域内においては、「存在」や「住人」は相互に影響力を及ぼし合うことが可能になります。認識できる周波数の範囲内においては、その世界を変革し、または創造してゆくことが出来るのです。認識力と変革力、あるいは認識力と創造力は比例関係にあります。そのことによって、各レベルの意識は、宇宙を主体的に創造してゆく行為に参画するわけなのです。すなわち意識は「鏡」であると同時に「創造主」でもあるのです。

反応周波数が高まるにつれて、わずかの周波数の上昇が、意識量や情報処理能力、仕事能力、認識力の飛躍的な増大となって現れてきます。周波数が高まれば高まるほど、比較級数的に加速度をつけて、意識量は増加してゆくのです。周波数が目的意識のレベルに近づけば、意識量の増加はほとんど無限大になってゆきます。これは、目的意識が一切のレベルの意識を含んでおり、かつすべての意識の源泉であるがためです。
***以上引用迄***

情報ソース:北条行一編「宇宙の法〜今明かされる、知的宇宙存在が自ら語る宇宙の真理」のpp.13-15*注:amazonでは取り扱いされてません。古書です。1992年9月第1版

アマゾンページ:http://amzn.to/2jq0vkS





2017/01/09

転載記事:プレアデスあたりではアセンションの真実はわからんのう!


転載元:http://d.hatena.ne.jp/rouou567/20110613/1307975206
皆の衆!
銀河の同胞の次元を知っておるかのう?
わしらの地球は3次元。
ゼータレチクルやアヌンナキは4次元。
プレアデスは5次元。
シリウスとアルクトゥルスは6次元じゃ。
7次元以上が神界であり、
日本神界の大神さまは9次元、10次元であり、
宇宙の根源神のスの大神さまは13次元じゃ。

プレアデスはもとリラ星系から地球にきた
古代リラ星人が、また地球を離れ、
プレアデスに再度移住した星人を言うのじゃで。
プレアデス星人はのう、ネガティブを極端に
廃そうとしすぎた故に、進化の袋小路にはいりこんでしもうたのじゃ。
しかし最初に地球来たとき、地球の環境に適合する為に、
地球の原生人類に己が遺伝子を組み入れ、
地球に適合していったのじゃ。
ゆえに、プレアデス星人は、欧米系の人種と最も
似通ったルックスを持っており、
宇宙人との最初のコンタクトは、もっとも衝撃が少ない
プレアデス星人が現れることになっておる。
プレアデス星人はのう!
地球人にとっては、最も血のつながりの濃い種族じゃで、
神において地球の文化に深く関与してきたのじゃ。
しかし前回のアセンションの際、手出し無用の銀河の掟を
破り、縁ある人間を宇宙船で助けたが故に、
2万6000年間、地球上空で次のアセンションを見守る
カルマを背負うてしもうたのじゃ。
前に言うたように、プレアデス星人は5次元じゃから、
地球のことはよう知っておるが、如何せん、
上の次元のシリウスアルクトゥルスのことは何も知らん!
6次元は、大天使界ゆえ、7次元以上の神界との接点が強く、
神界の意向を受けて動くが、5次元では神界の計画、意向を
知る由もないわけじゃ。

ゆえに「アセンション」「岩戸開き」に関して、
プレアデスは、自分らの経験値しか語れぬのじゃ!
今回のアセンションは、今までのアセンションではない。
銀河、宇宙そのもののアセンションも同時進行しておる。
ゆえに「アセンションの真相」は、高次の神界しか預かり知らぬ
ことじゃで!
神々はこうおっしゃっておる。
「星の民えらく気張ってすべて構うようにもうしておるが、
なにもわかっておらぬぞ」と。
プレアデス系のメッセージと称する「バーバラ・マーシニアック」や
バーバラ・ハンド・クロウ」や、「アモラ・クアン・イン」の本を
読んでわかったつもりになっておる御仁が多いが、
プレアデス系のメッセージでは、アセンションの神髄など
なにもわからんぞ。

爺もただ口から出まかせを言うておらんぞ。
欧米系のチャネラーの本はプレアデス系も含めて、
ほとんど読破しておるでのう!
しかしながら、何一つ「アセンションの真実」を言い当ててはおらん。
やたらと精神論を述べ立てて、抽象表現ばかりを述べ立てておる。
真の高次の神界からのメッセージに比べたら、子供だましなレベルじゃで!
神界からは、銀河連合に現在は関与禁止令が出でおる。
プレアデスもシリウスアルクトゥルスもそれにしたがっておる。
地球を中心とした太陽系銀河系は、宇宙創造神「スの大神さま」の
陣頭指揮の下、太陽系をお作りになられた「国常立大神 さま」の下の
大神様方が動かしておられる。
ゆえに5次元レベルのプレアデスの出る幕は今はないのじゃで。
プレアデス系や宇宙の天使系のメッセージをチャネルする者の
文言が曖昧模糊となるのは、そのせいじゃ!
1990年代までは、兄弟星系として「プレアデス」も、
アセンションの下準備に動いたが、2000年以降神々が
動いてからは、ちゃんと身分をわきまえ、余計な動きも
メッセージも出しておらん!
ゆえに今現在、プレアデス系のメッセージなどと申して居る者は、
過去の壊れたレコードを回しておるか、曖昧模糊として自分で創作の
偽造メッセージを発して居るにすぎん!
その文体、その文の意味、よくよく吟味してみれば、
5次元レベルの叡智があるかどうかはすぐにわかるものじゃで!
わかったようにふるまっておっても、守護霊団が泣いておられる。
嘘と虚構を重ねて、人々を欺き続ける行為は、アセンションどころか、
ディセンションまっしぐらじゃのう。
わしの目にかかれば、ちゃんと「神かかっておるかどうか」は、
簡単にわかってしまうのじゃで。
なぜなら爺は、高次の神々の波動とともに生きて参ったでのう!
なあ皆の衆!
鼻を利かせて、世の霊能者を判断なされや!
汚れた「霊能者」は胡散臭く、傲慢で鼻持ちならぬからのう!
計算ばかり高くて、まともにこの爺などに反論出来まいて。
まあ読者向けのつよがりの題名が全然違う題であるだけで
なんと肝っ玉のちっさい輩かを証明しておるでのう!
大言壮語をばかりはいておるのに「審神能力ゼロ」
なんともはや「胡散臭いのう!」

2017/01/08

転載記事:2013年から地球の大浄化が始まった

転載元:http://8729-13.cocolog-nifty.com/blog/2014/02/2013-6f35.html

1913年から2113年の200年間が”4度目の天の岩屋戸開き”であり、それは特に2013年から本格化し始め、これから2113年までの100年間が、地球大進化にとって最も重要な時期なのです。これは地球の「大変革」であるだけでなく、太陽系全体の大変革であり、しかも銀河系の霊的大変革とリンクしているのです。クニトコタチノ大神のメッセージは次の通りです。

   ――人間の心の光度を上げよ。人間に必要なのは明るい心である。今の人間たちの暗い想念では、それを高次元の存在たちは活用できない。地球や人間にはいろいろな存在の黒い想念が渦巻いている。人間たちはそれに感応して翻弄され、争いを起こしている。人間たちの暗い思いは地底にまで届いており、それが困るのである。――
   
人間の争いの暗い想念に感応し、争いを増幅させているのが「闇の霊界の存在」たちです。ヤマタノオロチの集合体である”赤き龍”や”獣”と呼ばれる存在たちは、5万年前に、混乱している地球にやって来ました。そして地球の霊界に、それまで存在しなかった闇の霊界(低層4次元)を別枠として自分たちのために形成してきたのです。

霊的な原因がわかれば、その対策を打つことができます。偉大なる大変革では、”宇宙の警察”ともいうべき光のミロくグループが地球の霊界の大変革を断行し、こうした闇の霊界の存在たちに光を与え、浄化し、最終的に闇の霊界そのものを消滅させ、本来の霊界に戻します。


「偉大なる大変革」は今後100年かけて完成する
   
1度目の大変革”天の岩屋戸開き”は180万年前に起こり、2度目が56万7000年前に起きました。そして4度目では「天・地・人」の岩戸開きが行なわれます。2012年の冬至の日をもってマヤ暦が終わり、ある時代の終末を迎え、それから新しい時代が始まったのです。3度目の天の岩戸開きは5万6000年前に起こりましたが、太陽系と木星系の存在の対立が表面化し、その影響を受けて人類の世界にも争いが起きるようになりました。


太陽系は太陽神を中心にまとまっていましたが、各惑星の存在たちが勝手に動くようになったことが、『天の岩屋戸隠れ』と言って知られている神話のモチーフになっています。『天の岩屋戸隠れ』というのは、本来、太陽を中心に家族的に調和するべきものが、太陽系の惑星の「神々」が勝手に行動して分裂してしまったことの象徴なのです。こうして(ETである)神々の主導権争いが、さまざまな宗教戦争となって地球に投影されてきたのです。


私はETである神々に協力する条件として、スサノオノ尊に3つの条件を出しました。

その第1の条件は、「自分が自分のままでいること」です。私は宗教家ではなく、古神道家として普通の人間として生きて行きたいと思っていたからです。つまり、神がかりになって恍惚状態になったりするのがいやだったのです。第2の条件は、「(ETである)神々と対等なパートナーとして」ということです。なぜなら「神のしもべ」になってしまう先人があまりにも多いからです。


たとえばヤーウェに忠実であったモーセであるとか、大本教の出口ナオさんのように、まるで神様から言われた通りにやるだけの僕(しもべ)ではなく、私は自分の創意工夫で行いたかったからです。つまり、従来の宗教的な「神の思し召しのままに」といったパターンがいやだったのです。


そして何事も最初が肝心で、私の出した3つの条件がその後の神々との関係性の性質を決めました。その後、私は神々とは対等な立場で対話しています。本書の神々との対話がほとんど現代語になっているのは、私が神々にそうした形を希望したからです。たまに対話した神々の中には、”~じゃよ”といった古い言い方をする神々がいますが、私は、「今はもうそんな時代ではないので、現代語で話してください」とはっきり言います。


5万6000年ぶりの地球の超進化のために、宇宙から多くの援助者が来ている
   
2013年6月の夏至の日に、第3次太陽系の各惑星の主宰神サミットが開かれて神々が集結しました。このサミットでは新しい時代を迎えて、再び各惑星の主宰神が太陽神を中心にまとまり、太陽系の進化と調和をはかることが確認され、5万2000年以上不在になっていた地球の主宰神に、クニトコタチノ大神が復帰することに決まりました。そこではじめて宇宙から、光のミロク(弥勒)グループが20万~30万規模で、太陽系と地球に降臨します。そしていよいよ、太陽系と地球の大進化が始まるのです。

本来、人類が敬うべきなのは、太陽と地球と月なのです。しかし人類は大自然からの恵みを忘れ、環境を破壊し、原爆や原発をつくって自ら人類が滅びる危機を招いてしまいました。太陽を敬う気持ちがあれば「太陽光発電」を、大地への感謝の心があれば「地熱」や「水力発電」を考えるはずなのです。「海流発電」や「潮流発電」も可能性があります。
しかし人類を生かしてきた太陽と地球、月への尊敬を忘れ、人類は生命とは相容れない原発を推進してきたのです。日本は日の丸の旗に象徴されるように、太陽信仰をしていた民族なので、太陽と大地への信仰を取り戻す必要があります。この「天と地の岩戸開き」は今度で4回目です。あと3回あるのですが、今回が地球がもっとも自滅する危険性が高いのです。


太陽系の中でも、地球はもっとも霊界レベルが低いのです。   
限りなく戦争を繰り返し、核を拡散させているような人類は未熟であることを認めなければなりません。宇宙人類から見ると、『自分たちを滅ぼすかもしれないほどの核を持ち、しかもさらに原発を増やそうとしている地球人類は非常に危なっかしい』のです。地球そのものは天変地異で滅ぶことはありませんが、人類は滅ぶ恐れがあります。
   
私たち人類が所属している太陽系自体が若い星団なので、霊界も未熟な霊界なのです。北辰(ホクシン)・北斗(ホクト)は、太陽系霊界よりも高い次元の霊界です。宇宙全体の進化という観点からは、太陽系は未発達の段階にあり、当然地球霊界は「下層の霊界」に当ります。太陽・水星・金星・地球・火星・木星・土星・天王星・海王星」のうち、地球のレベルはもっとも後ろの方です。しかし生命の多様性においてはトップです。
   
人類が核(原爆・原発)を持つということは、まさに子どもが火遊びをして自分の家を全焼させ、自分も焼け死ぬかもしれないようなものなのです。人類は謙虚に自らの未熟さを認め、それを超えて成長していかねばならないという意識を持ち、霊性を高めなければなりません。


2013年から、神界の影の部分である「魔界」の浄化が始まっている
   
5万年前の大変動によってクニトコタチノ大神が隠退(岩戸隠れ)されてから、地球神界が混沌に陥り、それに伴い宇宙からやってきた存在たちによって地球に地獄が形成されるようになりました。それまでは地獄や魔界などというものはなかったものが、地球世界にできてきたのです。ナチズムの台頭やイラク戦争などもそうしたものから生まれたのです。


私は神々へのごあいさつの時に、シュメールやメソポタミアの神々が非常に苦しんでいることが判明しました。そこで楽にして差し上げて原因を聞くと、『邪悪な存在から首をしめられているような状況にある』ということでした。実は見えざる邪悪な存在こそが、魔界の存在たちなのです。つまり、見えない世界で起きたことが、この世に影響を与えているのです。イラク戦争などいろいろな戦争や紛争が起きるのは、その裏にそういった霊的存在が介在しているからなのです。


ですから逆に言うと、見えない地獄界や魔界が浄化されれば、戦争や紛争はなくせるのです。絶対に第3次世界大戦は防がなければなりません。


魔界は100年以内に、地獄界は300年以内に消滅させる計画!

実は太陽系や地球の「大変革」は、銀河系の大変革の一環なのです。5億2000年前に銀河系の霊的大変革がありましたが、現在、再び太陽系を含む銀河系の4分の1の領域を、1万年をかけて霊的な大変革が行なわれています。因果の世界を司る原則界は、惑星同士の神々の勢力争いをやめさせ、闇の霊界をなくそうとしています。


太陽系を浄化して改善する龍神は、最大で本州ほどの大きさを持つ超巨大な宇宙大龍神です。この陰陽2体の宇宙大龍神を全員でお呼びすると、本州と同等の大きさを持つ宇宙大龍神が数十体、スパークしながら宇宙空間まで昇り、一気に下降しながら、南極から地球の核のほうへ行かれました。地球の霊界の一番下層である魔物の世界を清めていただきました。

霊界に影の部分である魔界があることは前から知っていましたが、私はそこには手をつけないでいたのです。ヒトラーやスターリンのような残虐な行為をする人間たちは、そういう魔物の世界との感応があります。4度目の岩戸開きでは、そこを清める必要があるのです。それは人間ができるという世界ではなく、太陽系の創造を行なった宇宙大龍神の圧倒的な力でやっていただくしかありません。


それによると、最終的には魔界は100年以内に地球から消滅させ、地獄界は人間の意識レベルの上昇の様子を見ながら、300年以内になくする計画であるそうです。なぜなら闇の霊界がなくなることが、地球大進化のための必要条件であるからです。

ソース:『2013年から5万6千年ぶりの「超」進化が始まった』                
ShintoWorkers 山田雅春&上部一馬 著 ヒカルランド

****以上転載迄****