ピタゴラス派イルミナティ

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2016/01/17

イルミニズム:成り行く神 動的な神 God of becoming

以下、一部要約

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前書き(要旨):宗教は究極的には科学的であり、宗教と科学には矛盾がない。科学が否定するのは無神論であって宗教ではない。成り行く神、動的な神=God of Becoming
宇宙には始まりも終わりもない。宇宙が神に、万物に先行する。動的な神=成り行く神は進化の最高潮である。宇宙が彼の知性、霊性、存在を育んだ。無神論者が悲しい存在である理由は、彼らは静的な神について否定はするが神聖な事物についても否定するから。彼ら無神論者は動的な神を受け入れることができるだろう。
動的な成り行く神には全ての超常的な力・能力が備わっている。圧倒的知性、不死、周りの物事をコントロールする力、宇宙的な創造力を発揮する能力がそうしたもの。
(重要)多くの人が、イルミナティにとっての神とは超常的な神であると誤解している。神は、進化の最高形態である。意識、知性における最高形態であり、彼を超えるもの、あるいは彼を止めるものは彼の意思か、あるいは彼と同等のレベルにある存在集団のみである。
成り行く神は私たちでもある。だが私たちは神に至るプロセスのかなり初期の段階に位置している。私たちは成り行く神に似せて作られている。私たちにはだから、神になる潜在能力があると言える。
数億年前の地球。環境は激しくカオスが支配していた。人類は進化して出来たと考えるなら、そうしたケミカルスープの中から歴代の偉人やリーダーが誕生したことになる。今では何十億、何兆もの種が地球の生物圏で生活している。これを地球だけではなく広大無辺な宇宙に伸ばしたらどうか?
過去二千年の人類の知識の発展。過去100年。過去20年。コンピュータとインターネット。では1000年後の人類の未来は?1億年後はどうか?そして、人類よりも先に誕生した他の存在を考えてみるとどうか?
宇宙の目的、あるいは潜在的な可能性の究極形態、それは神である。
神とは成り行くものである。無神論者は静的な神を否定するのはいいが動的な神、進化する神を理解しないと。
地球において人間は神。1000年後はどうか?人類は「第五のサル」と呼ばれている。第六のサルによって人類は置き換えられるか?人類は進化できるか?人類が気付いて自身のポテンシャルを理解しないと人類は確実に第六のサルによって置き換えられる。それが「進化の法則」というもの。

2016/01/16

神の知識を求めるならばまずは哲学をせよ



我々が求めるのは真理である。神の知識、グノーシス。般若。真理を求める者は哲学をやるべき。思惟を洗練させて認識(アウェアネス)を拡げよう。「小論理学」ノート→ http://www2.odn.ne.jp/~cat45780/hegel-tetugakunote-shouronrigakunote-yobigainen.html

圧倒的知性が我々を待つ。愛と知性。両者は無限の広がりを持つ。

2016/01/14

イルミナティとはどのような存在か?

いくつかの指標、ヒントをここに。

「イルミナティとは何であるか3(万物を見通す目)」


「コズミック・トリガーの謎 - シリウス・ネットワーク」

2016/01/04

いよいよ新時代の幕開けとなるか2016

2016.01.03のCOBRAの記事がさっそく翻訳された。

太陽系外のキメラグループのほとんどが一掃されたとのこと。2016年はいよいよ新時代の本流に突入する年であってほしい。2016年は「水瓶座の時代への完全シフトとなる年」とも言われている。

2016年が暖冬という珍しい気候でスタートを切った。今年の展望について一つの見解を紹介したい。


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貨幣制度という経済システム、間接民主主義・政党制議会制度という政治システム、アノミー・アトム化という社会システム、私有中央銀行制度という金融システム、紋切り型詰め込み受験戦争という教育システム、といった具合に我々を取り巻くシステムはもう十分に古く、機能不全に陥っている。新しいシステム、新しい社会OSの導入が待たれる。「イベント」は我々全員にとっての圧縮突破口であり、進化する自由が再び地球にもたらされる瞬間であるが、いつ起きるかが定かではない点で「隠れた変数」である。問題はイベントが先か、それとも自力で自己実現することが先かということになるが、イベントもそろそろ90%近くロード完了している状態だろう。だからイベントを待つ方が賢明だという判断ができる。それでも、イベントに依存するあまり自主性・積極性が損なわれるのも歯がゆい問題である。イベントを他力とするならば自助努力は自力である。二者が存在するのであればその統一でもってとらえること。だから他力と自力のバランス・統一が第三の道であり弁証法的総合。