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2015/05/09

マスタープラン

2012年10月12日(金)


The Masterplan

とくにここ数ヶ月の体験で人間のさがはアルコンの物理的・非物理的影響に作用されやすいということが明らかになりました。

アルコンは解放運動を分断することに成功しました。地表のポジティブなグループは侵入を受けるか腐敗してしまい、純粋を保った人々は嘲笑され攻撃されました。ポジティブグループの分断を小規模にとどめて、イベント前に彼らのユニティを達成するためのどのようなアイデアも大歓迎です。

また、コラテラルアカウントを掌握するために戦っているポジティブだと思われる個人とグループの存在も認められました。そのお金を人類に取り戻すという動機に貪欲が勝ってしまったようです。

信用できる情報筋からインテルを受け取りました。キーナンはコラテラルアカウントの管財人ではありません。本当の管財人/受託者のアイデンティティは今はまだ伏せねばならず、それにより彼が邪魔されずに人類の利益のために従事できるようにするためです。基金を人類に戻すために働いている二三のポジティブグループがあります。彼らについてはネットのどこを探しても見つけることはできません。彼らはなにも公表しないからです。彼らが成功裏におさまるとき、物事は単に起こり始めるのです。

上記のすべての要因が、多くの人を苛立たせている原因です。ですので、原初の「プラン」は延長され、ここに提示されるものです。

「マスタープラン」の最初の部分は非物理プレーンに対する光のブレークスルーに付属するものです。光の勢力は非物理プレーンをクリアリングするための高度のボルテックス技術を用います。ボルテックスは光のネットワークを形成し、それは日ごとに強くなります。ある時点で光の臨界質量に達し、メンタル・アストラル・エーテルの非物理プレーンへの光の勢力の大量到達という結果になります。非物理プレーンは惑星地球の地表を覆う薄い層の内側にあり、いまだに二三のアルコンと手先である多くのレプティリアンがネガティブなテクノロジーを有した状態で存在しています。ブレイクスルーは非物理プレーンからすべての残っている闇を除去するものです。

これは決定的事項でして、イベントの前に起きねばなりません。そうでなければアルコンと手先のレプティリアンが人類の心理的な弱点に圧力をかけることになるからです。そしてそれは容易に広範囲の戦争と暴力へとひろがってゆきます。人類の大衆はストレス下にあるとアルコンの物理的・非物理的影響と相まって暴力へと容易に退化してしまいます。ちょうどナチスドイツやルワンダの大虐殺が明示しているように。アルコン影響下にあって、人類は性急に誰かを責めたり攻撃することになってしまいます。そして容易に魔女狩りや気に入らない人々をリンチすることへとつながっていきます。誰もが攻撃をされ得て、「カバールの協力者」あるいはそれに類似するものとしてレッテルを貼られてしまいます。こうした事態は避けられるべきで、こうした理由で非物理的プレーンが処理されない限りイベントは「起きません」。



マスタープランの第二の部分は物理的なイベントそのものに関連します。多くの地表のポジティブグループが今では分断されているので、彼らはグループとしてはイベントに参加しません。地表以外の主だった2つのポジティブグループとしてのプレアデスの人々(プレアデス人)とレジスタンスムーブメントはいわゆる「流体グループマスタープランマネジメント」を導入します。まず第一に、イベントの時節到来という衝動がソースからやってきます。プレアデスの人々と他のポジティブなET種族はすべての人間の、彼らの思考と動機についての完全な全容・概要を有していて、イベントの引き金となるための人物(初期の流体的フィジカルグループ)を決定します。彼らはそのインテル(情報)をレジスタンスムーブメントに伝えます。

レジスタンスの地表の専門の職人らは流体地表グループの鍵となる人々にその後コンタクトします。鍵となる人々の何人かはロシア、中国、アメリカの軍部内で地位を占めています。鍵となる人々は個人的にコンタクトされます。あるいは電話越しにコンタクトされ、シンプルな選択をオファーされます。イベントのオペレーションの一部にならないかと招待されるのです。彼らは自由な意思の決定に基づいて受諾するかあるいは断ることができます。その決定を下すために数分間与えられます。受諾すれば、だれだれにコンタクトして何をするかという指針を与えられます。もし断れば、それ以上コンタクトを受けることはありません。鍵となるグループ(キーグループ)によってコンタクトされる人々は、自ら決定します。このようにして流体グループが起動します。全体のプロセスはとても迅速であり、カバールにとってサプライズになるはずです。インターネット上であらかじめ「青信号」が出ることはありません。サプライズ要素が損なわれるからです。

イベントの作戦が進行するにしたがって、作戦に参加する全ての人間の強みと弱みについての全容をプレアデス人と他のET種族が把握することになります。これに沿って、彼らは継続的なリアルタイムの情報更新をレジスタンスに与え、流体グループの人々の役割と地位のシフトについて指針を与えます。決定的なミスをおかす人々はグループを去らねばならず、作戦情報へのアクセスを失い、他の人々がメンバーとして受け入れられます。このようにして流体グループはカバールの侵入から防御され、また人間のサガのネガティブな側面からも防御されます。レジスタンスの専門の職人たちは作戦に直接関与することはないですが、インテルと指針を与えることでのみアシストします。この全オペレーションは、成功裏に収めるために地表の人間よりも賢い存在たちによってコーディネートされる必要があります。

イベントの後、人類大衆はアルコンのウイルスからの感染を除去するための心理的援助や霊的な癒しを受け取ります。アルコンのウイルスは人類大衆のなかに世代から世代にわたってトラウマを埋め込まれたマインドコントロールを通じて受け継がれてきました。これが除去されるとき、人類は暴力はみにくく、何事も解決せず、人間の性質に生来的に備わっていないものであることを発見するでしょう。

闇の勢力がコントロールを維持してきたキー要因は、人々はお互いをサポートし合わないように教えられてきたという事実です。人類が最初に学習すべきレッスンはサポートというレッスンです。人々は自由意志を有効活用し始め、愛を選ぶでしょう。光の勢力から大量の援助を受け、再びお互いを愛し合うことを学習するでしょう。

カバールへのいかなる復讐も容認されるものではありません。元カバールの全メンバーは公正な裁判を受ける権利があり、白状して協力する意思があるものは社会に受け入れられ融合されていくでしょう。イベントとは復讐のことではありません。カバールを権力の座から除去してこの惑星上の「全ての」暴力を停止することなのです。


人間要因によって遅延が生じましたが、そのためにプラン2012(イベント)の最初の部分だけが2012年に起きます。残りの計画(再構築とファーストコンタクト)は後ほど起きるでしょう。

2015/05/04

宇宙のライフサイクル part 1

The life cycle of the universe

出典:http://www.mathmonism.com/thelifecycleoftheuniverse.html


事物・物事にとっての自然なライフライクルとは、誕生し、成長し成熟し、年を取り(古くなって行き)衰弱し、そして最終的に死ぬことです。宇宙 ―生きる器官としての―も他のすべてと同じくこのサイクルに従っています。物質的な宇宙は死ぬ運命にあり必滅です。死ぬことのない宇宙、それがメンタルな宇宙です。ちょうど私たちの内奥にあるメンタルな側面―すなわち魂―が不滅であるのと同じように。

ですので、死ぬことのない宇宙的なマインドと死ぬ運命にある物質的な宇宙は必然的に宇宙はサイクル(複数形)を経由して先立つものである、ということを意味します。  それぞれのサイクルのパターンは全く同じなのですが、精密で寸分違わない出来事(複数形)は決して全く繰り返されることはありません。

人間の人生/生活はユニークなものです。ですが人間すべての人生/生命は規定された特定的なパターンと同様になるのです。大抵の人間の人生/生活は大なり小なり同じ行程で生きられるものです。精密な詳細は様々でありそれぞれ一定の順序に従って進みます。ですが一般的なテンプレートではありません。

宇宙の次の時代においては「新しい地球」となんらかの「新しい人類」が存在しているでしょう。もう一人のシェイクスピアやレオナルド(・ダヴィンチ)、カフカやニーチェ、あるいはピタゴラスライプニッツが登場する/存在することはないでしょう。ですが、そこには別の名前の新しい天才たちが登場するでしょう。自らの足跡を残すような天才たちが。

存在の周期的な性質のおかげで、私たちはサイクルの中でとある点(ポイント)―物理的な概念と同じ意味で―を選ぶことができるのです、全体のプロセスがどのような仕組みになっているのかを確かめるために。

第一に、発端・概念に先行する周囲の状況を検討しなければなりません。  もし物質的宇宙の発端がビッグバンだとするなら、主流科学が関わることを拒否する疑問を検討しなければなりません。つまり、その根本的な出来事の前にはなにが存在していてたのか。そしてその先行していた状況がいかにしてビッグバンを誕生させたのか、という疑問です。何が存在していてどこで存在していたのか、そしてどのような周囲の状況で存在していたのか、と。

存在の基本的な単位は数学的な点です。その点には無限の数が存在しています。数学的点は次元を持ちません。物理的な空間を占めることもありません。物理的な時間のなかに存在しているのでもないのです。数学的点の無限は同一の点を全て占めることができます:(これが)存在論的シンギュラリティです。「創始の点」です。「自身の中にいる神」なのです。

ここで扱っているのはメンタルな領域であって物質的・物理的領域ではありません。つまり、メンタルというのは第一義的な領域でありそこから物質的領域が現れるのです。存在とは物質が充満した空間(plenum)です。全てをカバーしています。非存在なゾーンはどこにもありません。しかしながら物質的宇宙が不在であることから ― それはつまりメンタル宇宙の潜在性であって独自に独立したものとしてあるいは自立したエンティティ(存在)として存在しうるものではありません ― 実存的なplenumはメンタル領域にのみ適用されるのです。メンタル領域のすべての部分は充満していて、これが意味するところは無限のマインドが(そこには)存在しているということです。数学的点はそれぞれ無限のメンタルな能力・容量を含んでいます ― マインドのplenum状態です ― そしてこれらマインド全てはシンギュラリティに属しています。つまり一つの無次元な点です。

もちろんのことですが、シンギュラリティとは物理的存在との関連で言われるところのそれでありメンタルな存在との関連で言われるものではありません。メンタル領域の範囲で言えば、それは無限に拡げることができます。それはどこにでも存在しています。全てを埋め尽くします。全てを抱擁しています。無限のメンタルな「空間(space)」を経験します。無限のメンタルな「時間」も体験します。時間をその物理的概念から取り除いてやると一体時間とはなんでしょうか?連続・連続物です。一つの思考・考えが別のそれに先行し、一つの思考が別のそれに継続するのであれば、一連の流れとしての思考(複数形)の順序をつくり上げることになります。つまり思考のチェーンです。一つの考えがより前の考えから流れてきてメンタルな時間を構成するのはこのチェーン、思考の流れなのです。メンタルな時間がなければすべての考え・思考は同一の点上で永遠に固まってしまうでしょう。

存在は永続的な成(becoming)です。したがって時間は存在に内在されています。成と時間は同じものです。つまり一つの出来事が別のそれから永遠に流れてくるものであり、すべては他の全てへと流れて行きこの流れはメンタル空間とメンタル時間という範疇で測定することができます。メンタル空間と時間、そして物理的な空間と時間の鍵となる違いは物理的な多様性は規則的で測定可能な単位(ユニット;複数形)に分割でき、一方でメンタル空間と時間は分割できない、という違いです。

こうした考え方と最も関連している哲学者はアンリ・ベルクソン(Henri Bergson)です。彼によれば知性は空間に関連付けるが、直観は時間に関連付ける、と。その一方で科学は空間と時間をとても類似しているものとして扱います。全然類似していない、というのがベルクソンの議論です。彼にとって時間を分析する上での中心的な問題は、それ(時間)が空間の側面としてみなされていることと、同じようなものさしでアプローチされていることだとしています。

科学は、静止フレームで構成された映画用のリールに現実を変換してしまいます。継続的なモーションは本質的には幻想で、複数ある静止フレームを一色単に適当なスピードで作動させることで引き起こされるものでしかありません。現実はしたがって凍った、生命なき状態の連続以外でしかないのです。映画のフィルムに含まれた生命はどこにあるのでしょうか?写真のどこに生命があるでしょうか?写真とは生活・人生の固まった一瞬を捉えるものであり、生活・人生そのものをとらえるのではありません。

科学的時間とは ― ベルクソンによれば ― 空間の形式・形であって、一方では本当の生きた時間とは「継続」です。「純粋な継続とは、意識状態が、エゴを生きさせるときに推測するところの形式である。つまり、前の状態から現在の状態を切り離すことを控えるときに推測するところのものである。」


自身の内的な経験のみに集中するとき私たちは純粋な継続を認識します。物理的なというより心理的な時間の体験というふうに呼べるかもしれません。それについて考える簡単な方法は、夢の時間を考慮したり、幻覚誘発薬を飲むときに過ぎ去るであろう時間を考えてみることです。あなたの注意、焦点は時間の経過を取り仕切ります。時計が取り仕切るのではありません。